金の鶏:知内町

荒木大学が、知内で採取した金を使って鶏の置物を作り、アイヌに攻められたときに寺の井戸に埋めて、その目印にオンコ(イチイ)の木を、植えたという伝説。
(真藤寺の住職他寺男等が埋めたとする説もある)

「大野土佐日記」によるとこの寺は真藤寺(まふじでら)だといわれており、今はもう残っていない寺だが、井戸に投げ入れた後、上から寺の鐘でふたをしたので、今でも鐘の音が響くことがあるという。

レポートと解説

明治45年、この寺の跡といわれている場所から、3体のお地蔵様が発見されました。現在湯ノ里郵便局そばの湯ノ里地蔵堂に安置されています。
とても小さくてかわいらしいお地蔵様です。(高さは30cmあるかないかくらい)
このお地蔵様が出てきたことで、金の鶏伝説も現実味を帯びたのか、昭和に入ってからも金の鶏の探索に精を出した人がいたといいます。

このお地蔵様を発見した方の親戚という土地の古老にお話を聞くことができました。
大正14年生まれというお婆さんなのですが、小さい頃(昭和初期?とのこと)お地蔵様が発見された真藤寺跡だといわれている場所には、その寺の名前が示すとおり藤の木がたくさん植えられ、石垣に囲まれていてその周囲に1mくらいの空堀があったそうです。
入り口には栃の大木が立っていてある時倒れてしまいましたが、それは昔砂金掘りが付近に金を埋めたからであろうと噂したそうです。
そのあたりからは土器などもよく見つかっていたので、かなり昔の時代から人が定住していたのだろうと思っていたとのこと。
また、土地の人が「大学さん」と呼ぶ場所もあり、湯の里の人たちは皆荒木大学に親しみを持っていたそうです。
しかし、その後開拓が入り真藤寺跡は畑に変わってしまい、今では藤の木の見る影もないとのことでした。

また、「金の鶏」というお宝が埋められたという伝説は日本各地に残っていて、岩手県金成町では、鶏坂に金の鶏のつがいが埋められているという伝説の通りに、金の鶏が発見されています。

荒木大学と真藤寺について

荒木大学は13世紀に甲斐(山梨)から知内へ渡り、1000人余りで毛無山にて13年に渡って砂金を採っていたという伝説の人物です。しかし、アイヌの乱が起こって大学以下ほぼ全員が死に、砂金採りも絶えてしまったそうです。
このことは、知内町雷公神社社家である大野家に伝わる古書「大野土佐日記」に書かれています。
大野家の19代土佐紀重正(きのしげまさ)が江戸後期に書いたといわれるこの古書は、荒木大学の砂金取りの故事や、大野家代々の事跡などが書かれていますが、その内容が現在未確認のものが多く、荒木大学自体も存在したかどうか不明の人物と言われています。
「道南・函館大事典」では「その内容は史的価値を有しない」とまで書かれています。

真藤寺に関しては、知内町郷土資料館の文章にこのような記述があります。

松前町にある専念寺の「西立山専念寺住職系図」によれば、開基である本願寺実如法主の弟で兼俊法師の孫といわれる真徳(蓮如上人の曽孫)が、「永正年中(1504?20)知内村より西北3里計り山中字湯ノ尻に真藤寺と言ふありき真徳ここに錫を留む古跡今猶存す」に来て浄土真宗を布教したと伝えられている。

どの年代に書かれたものがわかりませんが、大野土佐日記以外にも真藤寺に関する文献がある模様です。
真藤寺跡と伝承される地から実際にお地蔵様がでたことで、全くの伝説だけではないことが証明されたのではないのでしょうか。

所在地
知内川流域・湯の里地区
参考文献
8/p.45 18/p.120,152 20/p.18,75
知内町HP「真藤寺跡と三地蔵」
関連ホームページ

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『金の鶏:知内町』へのコメント

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