黒岩:八雲町

  1. アイヌの移住バージョン1
    海岸にある岩をアイヌがクンネシュマ(「クンネ」は黒くある(なる)暗くある(なる)の義。「シュマ」は岩、石)と呼んだので、そのまま訳した。
    ここに昔、アイヌが室蘭より移住したと伝えられているが、その時に駒ケ岳が噴火して灰が降り積もり、船が進まなくなった。 そこで、アイヌの長が神に祈ったところ、何かが船を担いで走り出したという。
    あんまり揺れがひどいので、また祈ってみると静かに担いでくれるようになって、無事に黒岩に到着できたという。
  2. アイヌの移住バージョン2
    サル(沙流)に、男の兄弟6人と女の姉妹6人の、宝物をたくさん持ったアイヌの兄妹たちが住んでいた。 ずいぶん勢力のあった家だったが、村のアイヌたちはこの家をねたみ、兄妹たちに意地悪をして敵にしていた。
    このため兄妹たちは、サルに居づらくなって旅に出、舟で室蘭に来たとき1番上の姉は室蘭の男と結婚した。
    残りの11人の兄妹たちが室蘭から舟出したとき、駒ヶ岳が噴火してたくさんの軽石が湾内に流れ出し、舟は全く動くことができなくなってしまった。
    そこで1番上の兄が、男のカミギリ(海の神)に祈ったところ、鯨が出て来て先立ちし案内を始めたが、 潮が早くて舟を操ることができなかった。
    次に2番目の兄が女のカミギリに祈ったところ、女の鯨が出て来て今度はうまく舟を動かすことができた。
    そしてポンシラルカに舟を着けてここに住むようになった。
    ポンシラルカとはシラルカ川(黒岩)の南の方にある小さな川の辺りで、シラルカとは岩を意味し、 黒岩のことをシラルカという。シラルカに対するポンシラルカは、小さな岩を指したものである。
  3. アイヌの戦い
    黒岩は昔ルクチといった磯で、ここに大きな黒い岩があるので和人が黒岩というようになった。
    昔トイマコタン(遠い異国)のアイヌたちが、サントミ(軍勢)をまとめて舟でここのコタン(集落)に夜討ちをかけてきた。 いよいよ岸に近寄って上陸しようとすると、目の前にたくさんのアイヌがたむろしているのに驚き、 われ先にと舟をこいで逃げ去り、コタンは何の被害も受けなかった。 トイマコタンの連中が敵と見たのは、実はルクチの黒岩の姿であった。 このためアイヌたちは、コタンを守ってくれるシュマカムイ(石神)として崇拝し、 イナウ(木幣)を祭って礼拝したという。
  4. 龍神さま
    大正時代、黒岩の海岸を通りかかった1人の女性が、―岩の上に立つ竜神を見たという噂が広がり、 地域の人びとは大漁や海難防止を祈願しようとして、昭和初期に岩の周囲にさくを設け、 小さなほこらを建てて御神体を安置した。
    しかし、この岩は波をかぶるためにほこらの損傷が激しく、黒岩神社に移した御神体を除いて跡形もなく波にさらわれてしまった。
    昭和48年、住民によって再建計画が立てられ、岩の上に赤い鳥居とほこらが設けられ、それを結ぶ橋やあずま屋なども建てて入魂式が行われた。

レポートと解説

この黒い岩は現存し、国道5号線からも岩の上に神様が祭られている祠を見ることが出来ます。
岩のなりたちは、流紋岩質の溶岩が海底であふれ出し、水で急冷され、バラバラに壊れたものが積み重なってできた水冷破砕岩(ハイアロクラスタイト)だそうです。(「渡島半島の自然を訪ねて」様による)


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