手長池:松前町

延享2年(1745)、松前藩12代藩主、資広(すけひろ)は、中納言八条隆英の娘を正室に迎え、城下の人々は彼女を「京御前様」と呼んで尊んでいた。

資広が参勤交代のため江戸にいたある夜、京御前は何かに誘われるように外へ出て、ふと気づくと町外れの池に来てしまった。ふと見ると、池のほとりには男がこちらを向いて立っていた。京御前は懐中の剣を握り締め、身構えながらも「今夜はもう遅いので、明日もう一度逢いましょう。何か証拠の品を持ってきてください。」と述べ、戻ってきた。

翌日、京御前は縁側で琴を演奏していると、夕暮れ時に瞬く間に雲が空を覆い、稲妻が光り、燈火が揺れた。その時、垣根越しに長い手がにゅ~っと伸びてきて、その手はお皿一枚を持っていた。
京御前は微笑みながら琴をやめ、左手でその贈り物とおぼしきお皿を受け取ると同時に、右手の懐剣でその長い手を突いた。
「ぎゃー!」と物凄い大声が響いて、驚いた武士たちが駆け寄ると京御前は無事だったので、血を滴らせて逃げる妖怪の後を追った。すると、京御前が昨晩誘われた池のほとりまでたどり着き、池は真っ赤な血で染まっていたという。
それから、この池は手長池と呼ばれた。

レポートと解説

手長池は藩屋敷の裏側にありました。今は水が涸れ、笹薮になっているそうです。
化け物が持ってきた皿は、松前家の菩提寺法幢寺に寺宝としておさめられている、青く美しいお皿です。
(「ほっかいどうむかしあったとさ」に写真が掲載されています。)
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