上ノ國八幡宮

文明5年(1473)に武田信広が勝山館の守護神として創立しました。

松前(蠣崎)氏の祈願所とされ、毘沙門天王社(砂館神社)、医王山社(夷王山神社)とともに、上ノ国三社といわれ、藩主は一代一度の三社詣でをしたといいます。
明治9年に現在地に本殿を移し、江差町から金毘羅堂を移設、拝殿としました。

現本殿は、本殿の部材に「明和七」の墨字が残されていたことから、明和7年(1770)に建立されたと長年推察されていました。しかし2007年の専門家(元鶴見大講師:鈴木亘氏)による検証で、はりの彫刻文様などが通説の建築年と適合しないことが判明し、また、「明和七」と書かれた部材もはりや柱などの構造材ではなく、ご神体を置く台座として後から設置されたと見られています。
専門家らは、松前藩の正史「福山秘府(ふくやまひふ)」の中に記載されている、八幡宮を1699(元禄12)年に「造替」したという部分と照らし合わせ、本殿は同年に建立されたことはほぼ間違いないと断定しました。
これにより、八幡宮本殿は道内最古の木造建築となりました。

また、上ノ国の有名な伝説「大蔵鰊(おおくらにしん)」の若宮社もここに合祀されています。

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