松前城資料館

松前城は福山城とも呼ばれる、最後に築城された日本式の城郭です。

もともと松前には大館がありましたが、初代藩主松前慶広が現在の地に1606年に城を築き、その地を福山と名づけて城を福山館と称していました。
藩名も福山藩としていましたが、備後(現在の広島県)の福山藩と区別するために松前藩とも言っていたそう。
幕末には蝦夷地周辺にロシアの船が出没していたことから、その警備のために幕府は松前藩に新たな築城を命じました。当時の藩主崇広は、高崎藩兵学者市川一学に設計を依頼、安政元年(1854)に完成しました。海側外部の三の丸には砲7座を設置し、海からの攻撃に備えました。
箱館戦争では旧幕府軍に攻略されましたが、翌年には新政府軍が奪還しています。

その後、政令により明治7~8(1874~75)年に天守閣、本丸御門、本丸御殿以外は取り壊し、本丸御殿は松城小学校として生まれ変わりました。
国宝に指定されていた天守閣は、昭和24(1949)年役場が火事になり、その飛び火により焼失しました。
現在の天守閣は同36年に鉄筋コンクリートで復元されたもので、内部は資料館になっています。
(写真は本丸御殿玄関。松城小学校の玄関として使用されていました。現在は本丸御門横に保存。)

内部の資料館には、松前応挙と呼ばれた蠣崎波響の絵画や、歴代藩主の書、家系図、新羅之記録などが展示されています。また、城の裏側には闇の夜の井戸耳塚があります。

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