旧笹浪家住宅

旧笹浪家は18世紀初めから続いたニシン場の網元です。

安政4年(1857)に家の土台替え、翌5年に屋根の葺き替えを行ったことを記した「家督普請控」があり、19世紀前半の建築であることが認められている、国重要文化財です。
いわゆる「ニシン御殿」に似ていますが、台所に雇い漁夫用の宿泊施設がないことから、ニシン番屋建築の成立以前の形式といわれています。
現存していませんが、そばに雇い漁夫用の棟が別に建てられていたそうです。
冬期間の浜風が強いため、北側の正面屋根を低く、南側の軒を高くして日光を取り入れやすいようにしています。
驚いたのが、家の中の台所に井戸が掘られていることです。大抵井戸は屋外にあって、そこから水を一生懸命運んでくるものと思っていましたが、さすがは笹浪家、家の中に井戸があるとは恐れ入りました。

右の写真は江戸時代中期の鎧で、2007年夏に笹浪家で7年ぶりに公開されました。
もとは、上ノ国八幡宮が所蔵していました。大袖、喉輪などは室町時代のものを改造していることから、もともとは武田信広が着用していたのでは、とも言われています。直された後、12代松前資広(すけひろ)(1726・享保11~明和2・1765)が着用したものと考えられています。
大袖の長さは一尺一寸五分が原則とされていますが、この袖は一尺二寸あり体の大きな人物が着用したものと考えられています。
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