幸坂上部の急斜面に建つ旧ロシア領事館は、明治43(1910)年に建造され、昭和19(1944)年まで使用されていました。2階建てで地下室付きのこの建物は、赤レンガと白い漆喰の窓枠のコントラストが美しく、大変鮮やかです。
函館とロシアとの関係は古く、寛政5(1793)年に箱館・松前に来たロシア使節ラクスマンから、松前藩医加藤肩吾がロシア語を習っていたり、文化年間には松前に幽閉されたゴローウニンらにも、ロシア語を学んでいました。
開港後は、ロシア領事館や教会が建てられたため、領事や司祭がロシア語教師の役目を果たしていましたが、明治4(1871)年開校の開拓使立函館学校では、ロシア語学科を設け、後に学校名そのものを「露学校」と改称するまでとなりました。明治後期にはロシア領での漁業が盛んになり、ロシア語の必要性はますます高まっていきました。
旧ロシア領事館は、領事館としての役目を終えた後、平成8年まで道南青少年の家という青少年の宿泊研修施設として使用されていましたが、現在は内部見学はできず、外観のみの公開となっています。
海側の庭からの外観です。庭からは函館の港が一望できますが、戦時中はこの領事館から港の動きなどが見えないよう、日本側が領事館の隣に木を植えたりなどしていたそうです。
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