寛文の頃、蝦夷地を巡った僧侶円空作の、道指定有形文化財・十一面観音立像が安置されています。
明治4年の廃仏毀釈の難を逃れてから、地域の人の手によって観音堂が建立されて祀られてきました。122.5cmという全道一大きな観音さまです。
昔は病に苦しむ人々が、観音さまを削ったかけらを煎じて飲んでいたといいます。
上ノ国町内にはこの観音堂のほかに5体の円空仏があります。
★円空 (1632~1695)
江戸前期の彫刻僧。美濃国(岐阜)生まれで18歳で出家、行基菩薩の徳を慕い、仏像12万体彫刻の願を起こし、全国的な彫刻行脚を実行した。
北海道へは1664~5(寛文4~5)年頃に渡ったらしく、その足跡は西海岸の太田(大成)と東海岸の有珠(伊達)以南に認められている。当時はこの両所の以北には旅行困難だったので、両所に多くの仏像を刻んでまとめ置き、背面に祀られるべき希望の地名、山名などを墨書あるいは彫刻した。
後年それは幕府役人などの手によって記銘の場所に運ばれた。そのため、円空仏は道内広範囲に散在するが、必ずしも円空がそこへ行ったというものではない。
しかし、太田・有珠以南の地には足を運んで作仏している。
(「函館・道南大事典」より)
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