大蔵鰊:上ノ国町

昔、上ノ国に大蔵法印秀海という修験者がいて、ひどい不漁の年に鰊が来るように祈祷すると言ったが、周りの人々はもう時期が遅いので効果がないと反対した。
しかし、法印は祈祷を始め、一人の男がそんな法印を無理だとあざ笑っていた。
すると、数日後に鰊が大漁となり、人々は法印に感謝してお礼の鰊を差し出したが、法印をあざ笑っていた男が「偶然だ」と言って鰊を出さなかった。ついに法印と口論となり、その果てにあろうことか法印を打ち殺してしまった。

その3日後にその男もその家族も死んだため、人々は法印のこれ以上の祟りを恐れて、法印を若宮社に祀り鰊の神としたという。それ以来、6月になると法印の庵跡に2、3匹の鰊が上がり、その様はまるで男が法印に詫びているようだったという。
人々はこの鰊を大蔵鰊と呼び、領主に捧げたという。

一説には、法印をいじめたのは大勢の人たちとなっていて、法印は絶食・憤死したが、その死ぬ間際に他の浜に鰊が来ても上ノ国には来ないようにする法力を見せてやる、と言い残し、翌年江差には群来したが上ノ国には来なかったというもの、また、若宮社の由緒によると法印は人々に感謝されて70歳まで生きたとなっていたりする。

レポートと解説

若宮社由緒記では、法印の祈祷によって尾の赤い鰊がきたので、これを「五月の赤鰊」と言うとあります。
また、最近では「片目の赤ニシン」と言い、この片目ニシンがくるとその年のニシンは終わりだといわれています。

若宮社は明治28年(1895)に上ノ国八幡宮に合祀されました(写真は上ノ国八幡宮)。
大蔵法印秀海は上国寺の住職であり、上ノ国八幡宮の別当で八幡宮の社家小滝家の祖です。上国寺の過去帳には法印が慶長3年(1598)没とあり、若宮社の創立年と一致するそうです。
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