昔、松前藩創立以前、東北から移住してきた漁師たちは、船がよく転覆したり沈んだりするので、大きな岩に洞窟を掘り船霊様を祀ることにした。
そこで、徳造という信心深い漁師が一生懸命掘削し、3年目の春にようやく完成した。いよいよ念願の船霊様を祀るという前夜、多くの漁師たちが前祝いだとばかりに飲めや歌えの大騒ぎをし、博打までやる始末。かの徳造は、洞窟が汚されたと烈火のごとく怒り、洞窟の中で断食してついには死んでしまったという。
それ以来この岩を博知石という。
レポートと解説
博多の下町はもともと博知石町と呼ばれ、アイヌ語の「ハックッチウシ(ブドウ・コクワの多いところ)」からきているともいいます。
この町の中央路傍に、高さ4尺5寸(約170cm)、弧の長さ約1丈5尺(約5.7m)ほどの洞窟があったそう。
この博知石のなれの果ての岩が昭和40年には現存していたそうですが、今は跡形もなくなっています。どうやら国道の道路拡張のために砕かれたようです・・・。
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