明治初年、高竜寺本堂の本尊の下に住んでいたむじなが、和尚さんのツケだとして、人間の姿を借りて食べ飲み歩いていた。
それを知った和尚さんが、自分の博打を勝たせてくれたら、すべてチャラにしてやるともちかけ、むじなが博打をこれでやめることを条件に和尚さんに金を貸した。和尚さんはツキ放題で大勝し、すべての借金を払い、むじなとの約束どおり博打もやめた。
明治12年(1879)高竜寺が現地へ移るときに、普段見慣れない若者が一生懸命荷車を押していたが、それもむじなだった。
他(「夷諺俗話」による)に1792年、政という料理屋に富商の番頭が上がり、散々飲み食いして小用に行くといって外に出たところで、5、6匹の犬にかみ殺された。この番頭は年を取ったむじなだったともある。
大正時代の話。
常盤町遊郭のおそのと大工の六三が、借金のために情死しようと高竜寺の墓地に行くと、同じように情死しようとしている男女がいた。
気後れして様子を見ていると、その男女は地蔵の首へ縄をくくりつけ、木の枝にぶら下がってふらふらと揺れていた。
これを見たおそのと六三は恐ろしくなり、他国にでも行って死んだつもりで働こうと決心した。
実はこれは高竜寺の狸の仕業であった。
レポートと解説
写真は高竜寺の山門です。
この高竜寺は、寛永10(1633)年に建てられた函館市内で最も古いお寺です。
現在の本堂は明治33(1869)年に、この山門は翌年完成しました。いずれも当時の名工たちの作で、明治時代末期の貴重な木造建築だそうです。
ここには松前藩家老で画家の蠣崎波響の最高傑作「釈迦涅槃図」(北海道指定有形文化財)が保存されています。
[google-map-v3 width=”350″ height=”350″ zoom=”12″ maptype=”roadmap” mapalign=”center” directionhint=”false” language=”default” poweredby=”false” maptypecontrol=”true” pancontrol=”false” zoomcontrol=”true” scalecontrol=”true” streetviewcontrol=”true” scrollwheelcontrol=”false” draggable=”true” tiltfourtyfive=”false” addmarkermashupbubble=”false” addmarkermashupbubble=”false” addmarkerlist=”41.768606,140.699822{}textiles.png{}狢(むじな):函館市” bubbleautopan=”true” showbike=”false” showtraffic=”false” showpanoramio=”false”]