武井の島(むいのしま):函館市(旧戸井町)

昔、ここでムイ(アイヌ語・オオバンヒザラガイ)とアワビがけんかをして、島より西側はアワビの国で東側がムイの国と定めたという。

また、西側には鮫穴という洞窟があり、タコとサメがけんかしてタコが負けて去っていったという伝説も残っている。
この穴は、陸地にある丸山龍神の穴とも通じていたともいう。

レポートと解説

ムイは「無意」「武委」ともよばれました。
実際、30年ほど前までは伝説の通りに生息していたそうですが、ワカメが繁茂するようになってからは、東側でもアワビがとれるようになったとのことです。
このような伝説は、海底が岩場と砂地に分かれている太平洋岸の各地にあるそう。
ちゃんとムイとアワビが別々に暮らしているのか確認のために潜ろうかとも思いましたが、地元の方に密漁者だと思われるだろうと思い、その場あとにしました。(というか、無理。潜れません)
ムイの画像は、「カエル男の後悔日誌」様内「写真付き日記」にて詳しい解説と共に見ることができます。

追記(2009.1.3)
『北海道大学 水産学部 水産科学院「北方圏貝類研究会」』 によると、

実際は, 武井ノ島付近は2種が同所的に生息しているが, この島を境界におおよそ2種の分布が分かれている。

とのこと。おおよそ分かれているのですね。

関連する伝説:室蘭絵鞆岬(えともみさき)のムイ島

室蘭の絵鞆岬の先にポロチヌエピラとポンチヌエピラという崖があり、その先にムイ島という箕の形をした小さな岩があります。
これにも伝説が残っているので、ここでご紹介します。

昔、ここにチヌエカムイ(アワビの神)とムイカムイ(箕の神・ムイはその形から、農具の箕の意味も持っていた)が勢力争いから戦ったことがあった。
それは長期に渡って行われ、なかなか勝敗がつかなかったが、ムイカムイはその大きな箕で砂をかき集めて、海中に立派な砦を築き立て篭もった。
アワビの方も対抗して貝で砂を寄せて砦を作ったが、大きさではムイの箕の方がアワビのそれよりも大きいので、アワビの砦は貧弱なものだった。
そのために、最後にはアワビがムイに負けてしまった。
戦に負けたアワビが逃げる時に、あまりの悔しさに流した涙が、岩を削って跡を残した。
その跡がポロチヌエピラ、ポンチヌエピラで、箕の神が作った砦がムイ島になって残ったと伝えられている。(「北海道の傳説」柏葉書院/更科源蔵・渡辺茂編著より要約)

ムイとアワビが争うお話パート2ですが、室蘭の方はムイの勝利で島はムイの砦の名残、という結末です。
島の形がどちらもムイに似ていることから、ムイが登場するのはわかりますが、
なぜ対戦相手がいつもアワビなのか・・・。
ホタテじゃいけないのか!?
やはり微妙に形が似ていないと争いにはならないのか!?
現代の私たちの心情から言えば、アワビの勝ち!って思っちゃいたいというか、アワビを食べたい!っていうか・・・。
ちなみにムイは食用でもあるそうで、もしかしたらアワビより美味だったりするのかしら。 
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