上ノ国ではコシャマインの戦い(1457年)で、当時の花沢館館主蠣崎季繁の客将武田信広がいよいよアイヌに追い詰められ、最早これまでと持っていた太刀を地に突き立て、八幡大菩薩に祈ったところ、山が鳴動して草や木が100万の兵と化し、川水があふれ出した。驚いたアイヌ達に信広が一気に斬りかかり、全滅させた。
赤坂の土が今も茶褐色なのは、この時戦死したアイヌの人々の血が染まったものだという。
たくさんのアイヌの怨霊が籠もっていて、足にこの赤土の泥をつけたまま旅行すると、必ず雨に祟られるという。
旅人は出来るだけ赤土を迂回したり、通るときはそばの小川で草鞋を洗ったという。この川の名を足洗川といい、現存する。
また、アイヌの怨念が夷王山のつつじを真紅に染めていると噂する者もいた。
レポートと解説
赤坂の場所は、夷王山の南方八幡野の東方とのことですが詳細不明です。
後に、この伝説が転じて、この土の塊を川に投げ込むと、必ず雨が降るという伝説となりました。加えて、この土を壷に入れて祈ると雨が降るとされていました。逆に晴れを願う時には、別の山の清い土をこの赤土に混ぜ、鹿の片角を添えて捧げ、祈ると雨がやむと信じられていたそうです。
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