慶長初年(1596)、上杉家の家臣・宇田民部(修験者でもあった)が3人の従者を連れて南部地方から奥尻へ漂着。その後、大成の太田に渡り、南下したところ、乙部の姫川河口から見ると、山の中腹になにやら光を発見。近づいて見たところ、ヤチダモの古木のこぶから光が出ていたので、そこに一泊した。
すると、南に人家があると神のお告げを聞き、翌日南下してみると一軒のアイヌの家に着き、食物にありつけたという。
宇田民部はヤチダモの傍に祠を建ててヤチダモに感謝し、従者3人と共にこの地に住みついた。これが乙部の開祖であるという。
レポートと解説
ヤチダモの詳細な位置は不明で、現存していません。ただ、宇田民部が建てた祠が現在の八幡神社(元町)だと言われています。
「乙部」の語源はアイヌ語で「川口に沼のある川」を意味します。
このオトウンペがオトベに転化し、町名にまでなったもので、現在日本海に注ぐ姫川の旧名がオトウンペでした。
※ヤチダモの写真は「北の風景写真」様より提供していただきました。
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