- 焼松不動さま(小不動尊)
昔、坪屋源七という者が知人のお葬式の帰りにこの小不動さまに参詣したところ、お不動さまの火炎が本当に燃えて、源七の肩衣に燃え移り、源七は気絶してしまったという。
人々が担ぎ出して水をかけ、薬を飲ませて源七は助かった。
お葬式の後、穢れた身を清めずに参詣したために、お不動さまのお叱りを受けたもので、源七はこげた肩衣を大切に保存したという。それ以来、この小不動さまを焼松不動というようになった。 - お不動さまのお神酒(大不動尊)
お不動さまに供えるお神酒がなくなったので、寺男の久兵衛がお酒を買いに行った。この久兵衛、大の酒好きで、お神酒を買って帰る途中でどうしてもお酒が飲みたくなってしまった。
橋の上に差し掛かったとき、「お不動さま、すみません。お先に一口飲んでください。」と、橋の上から川へお酒を注ぎ、自分も飲んでしまった。
寺へ帰り、いつもより徳利が軽かったので、あっさりと和尚さんにお酒を飲んだことがバレ、怒られていたところ、お不動さましかいない奥殿から「お神酒はもう久兵衛が飲む前にいただいた。あまり責めるな。」と声がした。 - お不動さまのねずみ退治(大不動尊)
ある年のお正月、ねずみが鏡餅やお菓子、果物と仏様に供えたものを悉く食べ、仏具を壊したりなどひどい荒らし様だった。
困った和尚さんがお不動さまにお願いしたところ、その翌朝お不動さまが持っている宝剣に、ねずみが一匹刺さっていた。それ以来、ねずみはピタリと出なくなったという。
レポートと解説
写真は阿吽寺の山門で、かつての松前城の堀上門を移築したものです。
阿吽寺は真言宗のお寺で、室町初期に津軽の安東盛季(もりすえ)が南部氏に攻められて蝦夷へ逃げ渡った時、津軽相内にあった安東氏の菩提寺阿吽寺の僧が、安倍貞任の念持仏だった如意輪観音と、本尊不動明王を護持してきて茂辺地(上磯)に住み、のち松前に移りました。その松前の庵跡を永正10(1513)年に永快という僧が再興したのが、阿吽寺です。
阿吽寺の場所は移っており、福山館の鬼門を押さえ、藩の祈願所となりました。由緒ある勝軍地蔵もあります。
この阿吽寺の奥殿は土蔵作りなので、何度も火災にあいながら、ご本尊やその他の多くの宝物が守られたのだそうです。
お不動様は一般公開されておらず、訪ねたときには残念ながらお会いすることが出来ませんでした。
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