精進川(七飯町・函館市(旧南茅部町))・椴川(江差町)

昔、精進川の上流に僧がどこからかやってきて住み、念仏を唱えて暮らしていた。
ところが、僧が真っ赤なグミの実を食べていたのを、村人が鮭の筋子を食べていると誤解して、その僧を罵り、いじめたため、僧は無実を証明しようと、法力を使って川から魚を消し去った(紙に字を書いて上流から流した)という。そのため、この精進川には魚がすまなくなった。

レポートと解説

この伝説は、上流に鉱山があって、鉱山の水が入り込んでいるために、魚がすまなくなってしまった川に生まれたものだそうです。
ただ、どの町の精進川にも鉱山が存在していたかどうかは、調査中です。(七飯町の精進川:硫黄鉱山 江差町の椴川:マンガン鉱山)
そのため、あまり魚が取れなかったためにこの名にされてしまった川は、北海道のあちこちに存在しています。今でも魚がすまないかは不明です。
また、精進川という名は、仏道の修行中は魚を食べずに精進料理を食べることに由来すると思われます。そこで、必ず僧が登場するのです。道南では、七飯町の他に旧南茅部町の精進川、江差町の椴川にも同様の伝説があります。また、森町にも精進川がありますが伝説と鉱山の有無については不明です。

七飯町・精進川と雨鱒川上流の鉱山

昭和12年(1937)に昭和製鉄株式会社によって、褐鉄鉱の採掘をしたのが始まりです。その後、硫黄鉱山が開かれました。それを機に、日本硫鉄株式会社と社名を改称。昭和18年(1943)に、隣接する鹿部鉱山を買収し、雨鱒川鉱山と称したそうです。
この鉱山の社員の子供たちも増えたため、昭和22年(1947)に銚子口小学校精進川分校が開設され、同26年(1951)に独立校となり、中学校を併設して精進川小中学校となりました。
しかし、企業の経営不振により昭和34年に閉山しました。精進川小中学校も同36年(1959)に廃校となりました。(現地の看板より)

冒頭の写真は七飯町の精進川上流です。川底が真っ赤です。
初めのうちは鉄も採掘していたとの事。ということは、この川の赤い色は鉄の色でしょうか。魚がすまないのも、この川を見れば納得ですね。

精進川小中学校跡地。写真にはありませんが、七飯町教育委員会の説明が書かれた看板が立っています。
現在でも、坑道から酸性の水が流れているそうで、それを中和させるために処理を行っているようです。
一度、金属や硫黄の採掘をしていた鉱山が閉山すると、酸性の廃水が流れて、鉱山周辺ばかりか、河川流域の広い範囲に汚染が及ぶそうです。そのため、鉱山が操業中止した後も、坑内水の処理を半永久的に続けなければならず、北海道では14箇所の休鉱山で、このような処理を行っているそうです。
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