三上超順の力試しの石:厚沢部町

mikamityoujun相撲好きの田舎力士、山田某が館城跡の中を通る旧道沿いに見事な球形をした大石を発見したので自宅に持ち帰り、毎日のようにこの石で力試しをしていた。しかし、そのうち妻が病気になってしまった。
すると、「拾った石は館城で戦死した三上超順の力試しの石だから、元に戻した方がよい」とある人から言われたため、厚沢部町の館地区にある正定寺の住職に回向を願った。
その後、彼の妻は元気を取り戻したため、この石を同寺の境内に安置した。

レポートと解説

昭和43年10月、館城跡100年を記念して、正定寺境内から館城跡にこの石を移し、碑を建てて保存したそうです(厚沢部町史より)。

館城跡に初めて訪れた時、この石を見つけました。
この石に関する解説は何もなかったのですが、なにやら気になる石でしたので、後日厚沢部町役場の方に尋ねたところ、この伝説を教えていただきました。
厚沢部町の郷土資料館の方のお話
「実際に超順がこの石で力試しをしたという確かな証拠はありませんので、あくまでも伝説の域を出ない話だと思いますが、私は館地区の方々が、館城や三上超順を身近に感じていたと同時に、一種の畏れに近い感情も抱いていたことがよくわかる逸話ではないかな、と思っています。」

三上超順(1835~68・天保6~明治元年)

松前正議隊参謀。松前の人で法華寺に小僧に入り、俗名欽治を超順と改名。号仏外。
千葉や金沢の寺で修行し、一時松前に帰ったが文久元年(1861)近江に出て槍剣を学び、慶応二年(1866)松前法華寺に帰り住職。
正議隊の参謀に推され、城を館村に移すことに奔走。明治元年(1868)11月、榎本軍の来攻でその館城を守り、 15日、左手にまな板を持ち(食事の漬物を切っていた時襲われた)、右手に刀で奮戦。敵を斬り、戦死。
大鳥圭介は「敵ながら無双の勇僧」と称えた。(函館・道南大事典より)

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