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箱館戦争

管理人日記

てくてくはこだて 最後の侍 ~土方歳三 市中見回りコース~ 行ってきました

てくてくはこだて とは?てくてくはこだて とは(公式サイトより引用)函館をよく知っているまちあるきガイドがご案内!函館の観光スポットからあまり知られていないコースまで、まちあるきします!2014年のコースは全部で7コース! 函館を満喫! ぐ...
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管理人日記

二股口台場古戦場へいらっしゃい

※写真提供「ウェブ北海道フリー素材」様2013年5月11日付の北海道新聞地方版の記事で、北斗市の二股口台場古戦場を新たな観光名所とする動きがあることが報じられました。この二股口台場古戦場は、箱館戦争で土方歳三が指揮を執り約300人で約180...
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函館・道南の観光スポット

称名寺

正保元(1644)年に伊勢から僧円竜が本尊である弥陀木像を持参して渡来、現在の亀田八幡宮付近に阿弥陀庵を建てたのが始まりの、浄土宗の寺院です。その後、現在の弥生小学校の場所に移り、幕末には箱館奉行交代の際の仮本陣となり、箱館の開港時には一時...
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函館・道南の観光スポット

函館護国神社

箱館戦争の後、新政府軍死者の慰霊祭が行われ、その際造営された招魂社がはじまり。元は函館招魂社といい、昭和11(1939)年に現在の名前になりました。例祭は官軍側が勝った旧暦明治2年5月11日をそのまま踏襲しています。この地を造営したのは、室...
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函館・道南の歴史・伝説

箱館戦争跡地・遺構いろいろ

箱館戦争に関するいくつかの史跡をまとめました。東照宮の手水石 東照宮は箱館戦争当時、現在の神山神社の場所にありました。旧幕府軍の台場ともなっていたため激戦地となり、新政府軍による攻撃で東照宮は炎上、現在地に移転しました。手水石には、当時の弾...
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函館・道南の歴史・伝説

猫塚:知内町

雷公神社22代神主の大野石見重敬は、箱館戦争では松前藩の攻撃軍に参加した。茂辺地矢不来の戦いで強敵と一騎打ちになり、苦闘の末にこれを破り敵の首級をあげた。帰郷したある夜、物の怪の気配を感じて飛び起きると、矢不来で討ち取った武士の怨霊が勝負を...
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函館・道南の観光スポット

榎本軍(旧幕府軍)鷲ノ木上陸地跡

明治元年(1868)旧10月20日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。上陸時の鷲ノ木は、積雪30センチ、北西の強風で波は荒れ(たば風)、暴風雪であったと言われています。榎本艦隊は、旗艦開陽丸他七艦(回天、...
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函館・道南の観光スポット

松前城資料館

松前城は福山城とも呼ばれる、最後に築城された日本式の城郭です。もともと松前には大館がありましたが、初代藩主松前慶広が現在の地に1606年に城を築き、その地を福山と名づけて城を福山館と称していました。藩名も福山藩としていましたが、備後(現在の...
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函館・道南の観光スポット

二股口古戦場

明治元年(1868)新政府軍に勝利した榎本政権が五稜郭に樹立されました。奪還を目指す新政府軍が、江差方面から上陸し函館へ攻めてくることを想定して榎本軍は、山沿いに壕や台場を築き、下二股川の崖を挟んで防ぐ作戦に出ました。新政府軍は翌2年(18...
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函館・道南の観光スポット

意富比神社(おおひじんじゃ)

明治元年(1868)、箱館戦争の際、今の峠下から五稜郭へ向かおうとする榎本軍大鳥圭介部隊と、阻もうとする官軍藩兵とが、旧大野町市渡で遭遇戦となり、この意富比神社境内を中心に戦闘になりました。この間大鳥部隊の放った大砲の弾が、今の十字街や下町...
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