函館護国神社

箱館戦争の後、新政府軍死者の慰霊祭が行われ、その際造営された招魂社がはじまり。元は函館招魂社といい、昭和11(1939)年に現在の名前になりました。例祭は官軍側が勝った旧暦明治2年5月11日をそのまま踏襲しています。

この地を造営したのは、室蘭の開拓方となっていた脱走兵兵卒だったことはあまり知られていません。

箱館戦争新政府軍、函館在住の日清・日露戦争軍人軍属、昭和14年以後の小樽以南の戦没者、合計一万三千余柱が祀られています。

函館山山麓に、ひっそりと165柱を祀る官修墳墓があります。個人のお墓のほかにも、薩藩戦死者墓などの大きな碑も建てられていて、手厚く葬られた様子が窺えます。

境内にある招魂場の碑は、かの高田屋嘉兵衛ゆかりの亀石を割って造られたもので、題字は箱館戦争の総督を務めた清水谷公考です。

また、函館護国神社は、どういう理由かはわかりませんが、縁結びの神様として有名だそうで、多種のお守りを販売しています。
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