てくてくはこだて とは?
函館をよく知っているまちあるきガイドがご案内!
函館の観光スポットからあまり知られていないコースまで、まちあるきします!
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どうです、奥さん。魅力的でしょう?
でもてくてくはこだては9月28日(日)まで。前日の17:00までに予約をします。
時間が無いぞ!急げ!
さて、どのラインナップも魅力的ですが、私めが選んだのはやはり4番。
そう、「最後の侍 ~土方歳三 市中見回りコース~」でございますよ。
最後の侍 ~土方歳三 市中見回りコース~
土方コースのスタートは、弥生小学校向かいの元町ホテル。ここには新選組の屯所がありました。正面の蔵の前に説明看板が設置されています。
一人で観光客のフリをしながらフラフラすることの多い私。今回のようにガイドさんと共に函館の街を周ったことはこれまで一度もありません。他にも一緒にまわる方はいらっしゃるのだろうかとドキドキしながらホテルのロビーに入ると、いらっしゃいました、ガイドさん!黒い軍服とブーツ、そして新選組の法被というスタイル!箱舘土方組のガイドさんでした。オラ、わくわくしてきたぞ!!
そして、今日はガイドを予約したのは私一人でした。平日ですものね。でもこれはガイドさん独り占めってことですわ。
で、ご挨拶&自己紹介などしながら新選組の屯所のお話。
それからそのまま中華会館方面へ行き、坂を下って旧小林寫真館前へ。明治35年創業、築100年というこの建物。あの石川啄木も函館時代に家族写真を撮影しています。普段は中へ入ることができませんが、なんと予約すると中でポートレートなど撮影していただけるとのこと!撮影代金は全てこの建物の保全に使用されるのだそう。このレトロな建物での婚礼写真とかとってもステキ。
さらに下っていくと、土方さんが函館での宿所にしていた場所がありました。
碑も何もありませんが、この一帯が大商人佐野専左衛門さんの店舗で、その屋号は萬屋(よろずや)、店章を丁サ(ちょうさ)といいました。ここは新選組の屯所も近くにあり、これまた近所にあった神明社には桑名藩主松平定敬公が滞在していました。定敬公はあの会津藩主松平容保公の弟であり、開陽丸で蝦夷地に逃れてきていたのです。貴人である定敬公を今後の戦争に巻き込むわけにはいかないので、今後どうしようかと土方さんが定敬公をしばしば訪ねて相談していたのだそう。これは私は全然知りませんでした。
土方組のガイドさんによれば、上記の理由から土方さんは五稜郭にはあまり滞在せず、ほとんど大町の宿所にいて新選組屯所に顔を出したり、定敬公と面談したり、新選組の持ち場であった弁天台場辺りを見回りするなどして過ごしていたのではないかと。この辺り一帯を土方さんが闊歩していたんですよ!その道を今、実際に自分も歩いているというこの幸せ。てくてくするのってすごい!・・・きっと一般市民は怖かっただろうなぁと思いますけどね(笑)
現在は函館市臨海研究所、その前は西警察署だったこの建物。沖ノ口番所の跡でもあります。ペリーもここから函館に上陸したんです。つまり、以前はここから先は海だったんですね。船や貨物の税を徴収していた場所なので、土方さんも見回りしていたのでは?
その後、ちょっと寄り道して海王丸を見に行きました。実はこの日出港予定で、ギリギリ間に合ったんです。今回の入港では特にイベントがなかったので帆を張らずに去ってしまいました。ガイドさんと二人で海王丸の姿に開陽丸を重ねて思い浮かべつつ、美しい船を眺めました。
岸壁ではちょうどこの旗を揚げている最中でした。旗を揚げている方にガイドさんが旗の意味を尋ねると、旗二つで「航海の安全を祈る」という意味なのだそう。海王丸の方でもこの信号旗を受けて同じ旗を揚げていました。旗揚げの方いわく、「陸みたいにベラベラ長い挨拶は必要ない。海の挨拶はこの旗だけで十分。いいでしょ?」
同じ信号旗と所属を示す日の丸、一番上の青い四角と白い四角の旗は「出港準備中。全員帰船せよ。」
国際信号旗が定められたのは1857年。もちろん開陽丸でもこうして旗を揚げていたのでしょう。
次の場所へ歩き始めたところ、釣り具を自転車に乗せてフラフラ運転しているおっちゃんが何やらこちらに向かって叫んでいる。
「土方ー!こらー!」
「土方ー!戦えーー!」
ガイドさんのお知り合いなのかと思いきや、全く知らない人だとのこと(笑)
市電の終点、ドック前。この辺りが弁天台場の入口でした。
こんな感じですぐ横の公園に弁天台場跡の看板、ミシュラングリーンガイドの看板、魚見坂の看板、新選組最後の地の碑が無節操に並べられています(笑)
ちなみにこの公園横の道が駐車禁止ではなく、すぐそばにトイレがあるので、タクシー運転手さんたちの憩いの場となっており、よくタクシーが停まっていて運転手さん同士で談笑している姿が見られます。
新選組は弁天台場を守る役目でした。隊士思いの土方さんですから、きっとここにも頻繁に訪れていたことでしょう。
弁天台場は解体されて今はもうありませんが、そばにある函館漁港の護岸にそのまま石が使われて残っています。この石、よく見るとまるで銃弾で撃たれたような穴がちらほら・・・。確証はありませんが、箱館戦争時についたものなのではないかとガイドさんがおっしゃってました。私もそう思います。市内やその周辺の他の戦争跡では、いくつも銃弾跡が残されてますからね。
続いて山の方へ向かい、地元の人しか知らないような細い道を進んで外国人墓地へ。墓地を通り抜けて高龍寺。
あの悲劇が起こった場所ですね。箱館戦争中、ここは函館病院の分院として旧幕府軍が使用していました。院長は敵味方無く治療し、赤十字運動の先駆者といわれる高松凌雲。この分院に新政府軍が乱入し、傷病兵らを殺傷する事件が起きたのです。供養のため傷心惨目の碑が旧会津藩有志によって建立されています。また、こちらの向かいにある真言寺境内にも台場がありました。
称名寺にある土方歳三と新選組隊士の供養碑。これは後年建てられたもの。称名寺は箱館戦争当時、現在の弥生小辺りにありました。その一角を新選組屯所としていたのです。
次はそのお隣、実行寺(じつぎょうじ)。実は境内に入ったことがありませんでした。ここでは全く知らなかった事実を知ることとなりました。
墓地の入口付近、コンクリートの塀のそばに整然と並んでいる古いお墓。こちらはなんと、旧幕府軍の方々のお墓なのです!!当時きちんと供養して埋葬されたものですよ!!まさかちゃんと埋葬されているお墓があるなんて・・・!!!
これがどうすごいのか少し説明します。いや、させてください。
函館市には碧血碑という碑があります。この碑は、箱館戦争で命を落とした旧幕府軍全てを祀る慰霊碑です。建立されたのは明治8年。戦争から6年経過しています。碑の裏側には「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」と刻まれており、意味は「明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建てて悲しみの気持ちを表します」。箱館戦争の内容を「此の事」とぼかしており、直接書くことは6年経ったとしてもはばかられることでした。
箱館戦争直後、旧幕府軍の遺体はあちこちに捨て置かれたままでした。新政府軍が埋葬を許可しなかったのです。哀れに思った侠客柳川熊吉が実行寺の住職松尾日隆などと相談して、子分を使って街中の遺体を集めて実行寺などに仮埋葬したのです。しかし、新政府軍に見つかり命令に違反したとして柳川熊吉は拘束されてしまいますが、その毅然とした態度に感じ入った薩摩藩士田島圭蔵が無罪放免としました。
明治4年、土地を購入した熊吉が仮埋葬していた戦死者をその土地に改葬、明治7年に新政府が正式に賊軍の祭祀を許可して、ようやく翌8年に榎本や大鳥らも協力し、碧血碑が建立されたのです。
これほど、当時賊軍である旧幕府軍の死者を一人の人間として葬るということは、大変なことでした。
そんな中、実行寺にはいくつもの旧幕府軍の死者のお墓があります。ちゃんと弔われていることも、お墓が存在することも知りませんでしたので、本当に驚きました。
函館病院で治療中に亡くなった方の墓石もあり、その中に諏訪常吉さんのお墓もありました。
この諏訪さんは、箱館戦争の和平交渉のきっかけになった方で、当別に出陣して戻って来る際に「私は初めから戦争を好んでいないので、早々に引き揚げますが、場合によってはお相手します」という内容の置手紙を残し、それが新政府軍に届けられて交渉のきっかけとなりました。
しかし、諏訪さん本人はその後の戦いで負傷し、函館病院に入院。入院中に和平交渉のとっかかりとして新政府軍の幹部が見舞いに来るも、瀕死の状態で諏訪さんとは話が出来ず、事情を知った高松凌雲などが仲介することとなったのです。
もう一つ、実行寺のすごいところ。
境内に入ってすぐ正面に、握手をしている彫刻がある変わった碑があります。
これは、日仏親善函館発祥記念碑。1855年フランスの船の乗組員に病人が出るなどし、養生と補給などを函館に求めてきました。開港前でしたので本来は許されないことだったのですが、当時の箱館奉行が独断で入港を許可し、実行寺が乗組員の養生の場を提供したのだそうです。
函館にある私立高校の一部、白百合とラサールはもともとフランスの修道会が元となっていますが、函館とフランスの間にはこんなつながりがあったのですね。そういえば、フランス生まれのラストサムライ、ブリュネさんらも函館に来ていましたね。
実行寺、すごい!!
あまりの衝撃に写真を撮るのを忘れました。すみません。
てくてくはこだて 箱舘土方組さんがすごかった!
これに尽きますね。ガイドさんが本当に博学で、ここには書ききれないほどたくさんのことを教えていただきました。土方さんへの愛もたっぷりで、普段土方さんがいかに素晴らしいかなんて語る相手がいなかったので、それだけでも嬉しかったですね。お話しやすいフレンドリーさも絶妙で、昔から知り合いだったんじゃないかと勘違いしそうになりました。
また、史実の土方さんのみならず、漫画やアニメの土方さんにも造詣が深くていらっしゃり、私も大好きな銀魂の話もできましたし本当楽しかったです。実際、称名寺では校外研修をしていた市内の中学生グループの中に銀魂の沖田くんファンという女子に遭遇、一緒にガイドをするという場面もありました。ガイドさん的には土方十四郎さんはどうなんだろう、やっぱり「認めん!」って感じなのかと思いきや、「マヨラーとかトッシーとかあるけど、最後の最後の部分は同じ。根っこが土方と同じだから銀魂はいいね!」とのこと。そうそう、そうなんです。だから銀魂好きなんです。
そして、ガイドさんのお車がコレ!
新選組仕様車ですよ!掲載許可を頂いたのでドドーン!
しかも「赤ちゃんが乗っています」とかよく後部に吸盤でくっついてるアレが、「土方が乗っています」バージョン(笑)
それから、ガイドさんに教えていただいた土方グッズ。
とてもかわいい!
土方さんは函館に来てからは隊士の皆さんにお母さんのようだと言われていたので、こんな姿もアリですよ。アリ。
こちらは駅前のロワジールホテル横にあるお土産屋さんで売っています。
そんな素敵な箱舘土方組さんのFacebookページはこちら
てくてくはこだて、今年は9月28日(日)まで!予約は前日17:00までなので、是非!思い立ったが吉日ですよ!
いや、やっとブログへ
たどり着きました。
少し照れくさいけど
とても嬉しく思います。
また、あそぼうね。今度は雪が融けたら二股口へ!!
ありがとうございました