昭和20年7月14日、函館空襲の日。
アメリカ軍艦載機延べ300~400機が早朝から函館市街地を襲撃し、西部地区の民家約390戸が焼失し、15日にかけて青函連絡船や貨物船が全滅し多数の死者を出しました。
父は当時湯浜に住んでおり、家の庭に掘っていた防空壕から沖合の船が攻撃され沈没する様子や、函館山方面の爆撃を見ていたそうです。義父はというと、当時は東雲町に住んでおり、これまた庭に掘った防空壕内で朝ご飯を食べようと味噌汁を持っていたところで、近くに爆弾が落ちてコンクリート製の建物が吹っ飛んだそう・・・。
そんな函館空襲で、最も爆撃が激しかったという現在の弥生小学校(旧西小学校)・西中学校付近に、冒頭の蔵が残されています。
歴史の生き証人として函館を見守ってきたこの蔵ですが、近年傷みが激しくなってきていたため、約1千万円をかけて修復されました。
一般向けの見学会が19日午後1時~3時に開かれ、カフェや工房、住宅などとして蔵の利用を希望する入居者も募集するとのこと。
詳しい内容はこちらの新聞記事をご覧ください。
空襲の惨禍伝える蔵、修復 函館 空襲の惨禍伝える蔵、修復 函館-北海道新聞[道南]
とっても綺麗です。新築みたい。
壁に木の影が映っちゃってます。日が落ちるのが早くて・・・。
ちなみに近くにある称名寺境内には、函館空襲の戦災者慰霊碑があります。
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