開港150周年記念は実はまだだと言う事実。
(でもいいんだって。)
友北ななめしです。
横津岳でミニトレッキングしてきました。
さて。
道南近辺では意外にも一番標高が高い横津岳。
山頂にはレーダー施設やらがいろいろあるため、
舗装道路になっていて整った状態です。
とはいえ、しばらく山なんて函館山くらいしか登ったことがないので、
何を持っていけばいいか迷っちゃいました。
「もしかしたら使うかもしれない」
なんて考えてたら荷物が重くなっちゃうので、
どうせ日帰りだし、ズバズバ切り捨ててみました。
で、手ぬぐい、帽子、熊鈴、オニギリ、デジカメ、携帯、熊スプレー、熊対策ナイフ、医薬品、飲料水・・・とまぁこんな感じでスタートしました。防寒具は持たなかったのですが、持って行ったほうが良かったと思います。
さてさて。
駐車場には車なし。
横津~袴腰はあまり時間がかからないとのことで、登山者は早朝にはあまり現れないようです。
天候は曇の予報。すっきりしないけどまぁいいか。
駐車場からすぐ上にゲートがあります。
車用ゲートは閉じられていますが、登山者用ゲートはこんな感じであいています。
しかし、
規格外の男、友北はこのスペースを通れるのか不安がよぎります。
実際はウェストバッグが引っかかって本当にギリギリでした。(笑)
登り始めると、車用に作られた「車道」ってのが結構厳しく、ものすごい疲労しました。
「何故人は好き好んでこんな辛いことするんだ」
「誰だよHPにお気軽なトレッキングコースですとか書いてたの」
などと、正直引き返そうかと思うくらいでした。
※当サイトの記事内の感想等は、『規格外の男』ならではの感想等ですので、一般的な体型の方には当てはまりませんのでご注意ください。
意外に長いアスファルト路面。途中、切り込まれた道や道端に咲く花。
アザミの一種
アザミなどは蜂が来ていましたが、エゾニュウなどの花にはハエがたかっていました。
ハンゴンソウに似てるけど、多分アキノキリンソウ。昔は傷薬だったとか。
フランス菊。マーガレットじゃないんだとさ。たまにものすごい臭い種類もあるよね。
多分、アラゲハンゴンソウ。ピントが葉っぱにあっちゃっいました。
真ん中はチョコ味。嘘。
ハンゴンソウは反魂草と書き、魂を呼び戻すとかそういう意味だそうで。葉っぱが幽霊の手のひらを連想するとかしないとか。
青空が見え始め、気分も良くなってきましたが、暑くなってくるのだけは勘弁な。
先の分岐(写真でもかすかにわかりますでしょ?)→に向かえば烏帽子岳・袴腰岳方面。
今日の目標は袴腰岳。
しかし、道南最高峰(※)、横津岳(約1167m)を制覇せずして何が冒険かと!
※道南というくくりでは狩場山(約1520m)が最高峰。でも、大千軒岳(約1072m)は「渡島半島南西部の最高峰」とか言われてるし、後で出てくる袴腰(約1108m)も最高峰の名を冠してます。細かいことは気にしない方がよさそうです。
で、山頂を制覇。
この日はレーダー基地の補修作業だか修理だかなんだかで
重機やら軽トラやらが頂上にいて、
発電機がブルンブルン回ってるわ作業中の人がいるわで、
ちっとも制覇した気分になりゃしなかったです。
山頂レーダー裏には一応ケルン(石積み)なんかもあるんですが、まったく気分は出ません。オイラの影も映っちゃってますね。
景色はなかなかですが、何しろガスが・・・。雲海ってことで満足するとしましょう。
さて、山頂を後にして、雲井沼へ向かいます。
入り口には鳥居があるので間違えません。このほかに旧登山道もあるようです。
でも、短いながらもこんな藪漕ぎもあるので、覚悟は必要です。
で、横津神社。
雲井沼。静かな水面が空を映します。
雲井沼の水辺まで近寄ると、睡蓮の花が咲いていました。ラッキー。
ちなみに蓮と睡蓮は別のものだそうで。
登山道(舗装道路)を外れるとそこは一気に山らしくなります。
山で見られる花たちがやっと顔を現します。
エゾオヤマリンドウ・・・だと思いますが。あと数日で開花といったところです。
こちらはタチギボウシ。図鑑で見るよりも青く見えました。
ハナニガナ・・・だと思うんですが。ニガナは苦いから苦菜って言うらしいですよ。昔は胃薬だったとか。良薬口に苦しですか。
さて。
烏帽子・袴腰分岐までもどって、いよいよそちらへの冒険開始。
右側へ進んでいくんですが、ここで別の登山客と会いました。
草原でなにやら探していらっしゃる。
山でのルール。元気に挨拶。意外に気持ちのいいもんですよ。
「こんちは~!」
おそらく60過ぎの方だとは思いますが、
話によるとハスカップを取っているとのこと。
え?ハスカップ?横津に?
思わず驚いてしまいましたが、横津にはフツーに自生しているそうです。
笹の葉にピントがあっちゃったんですが、これがハスカップの実。うまい。
ハスカップの和名は黒実鶯神楽(くろみのうぐいすかぐら)と言うそうで、なんかカッコいいですね。
生の実は収穫後の保存が極めて難しく、生のまま流通することはほとんどないそうです。
甘酸っぱい幸せが口の中いっぱいに広がります。
話し好きのおじさまは烏帽子岳までの往復だそうで、袴腰に向かうことを告げると、そこまでPT組みましょうか、という話になりました。
何度も登っている方のようなので、非常に頼りになりますが、
オイラは体格が規格外ですから、休憩も規格外、トレッキングスピードも規格外(遅くて)。
とはいえ、断るのももったいないので、
「見ての通りの体格ですので、遅れると思いますが、よろしくお願いします」
と、PTを組むことになりました。
なかなか絵心のある熊看板。個人的には
コレを超える熊看板はないですが。
健脚なおじさま。
道は緩い下りで湿原へ。一つ目なので、なんとなく第一湿原とか。
往路で緩い下りってことは、帰りは緩い登りってことだよなぁ・・・(汗)
で、第一湿原。
タチギボウシが咲いています。
春はもっと綺麗らしいです。
第一湿原を抜けると緩い登りの後、また下り。途中、低木が覆いかぶさっていて、野趣溢れる状態の場所もあります。
第二湿原ではそれまで見られなかった花も見られました。
あまり湿っていない感じの第二湿原
アヤメの仲間。中央が黄色く、網目がないのでカキツバタだと思います。
ツリガネニンジン。ハクサンシャジンとも言うらしいけど、聞いたことないですな。
サウンドノベルで有名なたぶんオトギリソウ(弟切草)
いよいよ烏帽子岳・袴腰岳の分岐です。
実は。。。
ここに至るかなり前に友北は大きなミスに気がつき、
不安なトレッキングとなっていたのです。
今回のトレッキングでは飲料水が圧倒的に不足でした。
事前準備の段階でいろいろ荷物を削りました。
なぜなら体重が規格外ですから。
で、
飲料水は1リットル程度でいいだろうと思い、
500mlペットボトル2本を持ってきました。
しかし。
体格が規格外の男は、摂取水分量も当然規格外。
駐車場を後にしてから、横津山頂までの最初の1時間ほどで500mlを消費。
分岐から第一湿原まではほぼ下りだったものの、
天候の回復により日差しにやられ、
ちょこちょこ消費するうち、ここ烏帽子岳分岐までで、
残る水分は250mlとなっていました。
とりあえず、烏帽子岳まで行って、作戦を練ることにしました。
天候は不安定なものの、まずまず。時折、こんなガスの塊がやってきます。
天気の境目。すげー。
いよいよ烏帽子岳。どちらかと言うと丘と言う感じ。
その分、ツリガネニンジンなどが咲き誇っていて綺麗でした。
ここにもハスカップがあります。
トウゲブキ。函館開港当時の初代イギリス領事ホジソンが植物を研究・採取し、別名としてホジソンの名を冠するらしいです。(WEB検索だとオーストラリアの旅行家とかって出るんですが。)
で、
目的の袴腰なんですが。
見えません。
ガスがかかると結構寒いんですよ。
防寒具は夏でもあったほうがいいみたいです。
で、烏帽子にて一足先に到着していた健脚なおじさまと話しながら昼食。
袴腰のピークの話やら、遭難騒動の話やら、昔の話やら。
健脚おじさまは袴腰まで行くことをオススメしてきます。
実際、体力的にどうかと考えれば、
規格外なオイラでもここまでこれないわけじゃないし、
余力もある状態でした。
しかし、飲料水が残り250mlであることと、
帰路のアップダウンを考えれば、
躊躇する状況。
で、そのうちガスが晴れたりもします。
函館市の最高峰、袴腰岳。綺麗ですねー。
綺麗ですが、
なんか現在位置の烏帽子岳と袴腰の間に谷のような部分があるんですが。
それもものすごく。
コレを降りて、上がって、頂上に行って、
アソコ降りて、上がって、烏帽子に戻って・・・。
無理無理無理無理。
水ないし。
撤収決定。
まぁ、
こういうときのために、先人の登山家はすばらしい言葉を残しています。
「山は逃げない。」
そう、山は逃げないのです。
たとえ、今のオイラが尻尾巻いて逃げるとしても。
そういうわけで帰路に着きます。
帰りも健脚おじさまと(離れた)PTです。
結果的に、袴腰に向かわなくて正解でした。
太陽が顔を出すのと、昼を過ぎて気温が上昇するにしたがい、
体からの水分損失が予想をはるかに上回った状況になりました。
250mlなんて、ほんの4回も口に含めば終了。
それほどきつくない帰路ではあるものの、
水分残量を計算しながら口に含みます。
しかし、のどの渇きはだんだんと強くなります。
ふと気がつくと、手にひどいむくみを感じるようになりました。
コレは規格外の体格で腕をずっと下にして歩いていたためでしょうか。
水分の代謝もうまく行ってないのかもしれません。
汗があまり出ません。腕の汗はとっくに乾いて白い塩の粉になっています。
喉が渇くのにむくみがある。
コレはあまりよろしくない感じ。
とはいえ、無事にレーダー付近まで戻ってこれました。
最後の休憩場所は鎮魂の碑前。水はのこり一口。
この鎮魂の碑について少し検索してみましたが、
個人のサイト以外にそれらしい記述は発見できませんでした。
出てくるのは、ばんだい号の遭難墜落事故ばかりです。
(ばんだい号の慰霊碑はゲート前駐車場の向かいから少し上がった場所にあります。)
検索でたどり着いた個人サイトには「2名の営林署員の鎮魂碑」とありますが、
それ以上はわかりませんでした。
後日、七飯町歴史館の方に伺ったところ、
詳しく知っている方に連絡を取ってくださり、
以下のように教えていただきました。
<横津岳の鎮魂の碑について>
昭和3?年(碑には37か39年とあります。写真写りが悪くて確認できません。ごめんなさい。また、教えてくださった方も年については碑にあるとおり・・・と言っていました。よって、ここでは3?年として表記します。)12月の出来事(碑には11日とあります)。
当時から横津岳には開発局のアンテナ・レーダーが1基あり、機械の保守点検が行われていました。
その保守点検のために、雪上車で横津岳に向かったものの、猛吹雪のため雪上車が立ち往生。
仕方なく、スキーを使用して自力で下山せざるを得ない状況になったそうです。
その時は4,5名で下山を開始したものの、猛吹雪に阻まれ、碑にある2名が遭難、帰らぬ人となったそうです。
2名の方々は冬が開けてから(時期は不明)自衛隊の捜索によって発見されたそうです。
猛吹雪で位置を見失ったのか、
生還するための選択だったのか、
鹿部側の沢で、
別々の場所で発見されたとのことです。
その後、開発局の有志によって、鎮魂の碑が建立されたとのことです。
なお、このお話は、碑にある工藤さんの関係者が語ってくれたものだそうです。
今でこそ手軽な軽登山だのお手軽トレッキングだの言われている横津岳ですが、
遭難者や殉職者も出ていることは忘れてはいけないことだと思います。
さて、
なんとか戻ってきたオイラは健脚おじさまと別れ、一路下山。
ところが。
下りアスファルト路面というのが、予想以上に辛い。
車のために作られた「車道」というのがかなり厳しい。
あれ、こんなこと前に書いた気がする。
とにかく、いつまでたっても駐車場につかない。
筋肉疲労がものすごい。ふくらはぎが悲鳴を上げる。
水分はもうない。
先行き不明~。
もう限界だーって思ってから、しばらくしてやっと駐車場に戻ってこれました。
下りは筋肉が伸びたまま行う運動なので、疲労度が激しいそうです。
ほんっと激しい。何しろ体重が規格外。
帰りの体力を考えて下山しないとダメですなコレは・・・という感じ。
駐車場で車に乗り込み、下山。
途中のゴルフ場は完全に営業停止して、
建物自体も撤去してしまい、
絶景が広がっていました。
横津岳トレッキング
横津岳~烏帽子岳までであれば、
普通の人なら余裕でいけると思います。
崖などもなく、小学生でもいけそうな感じ。
ただし、1000mを超えていることを忘れずに、
防寒対策などは必要かもしれません。
ガスがかかると一気に気温が低下します。
あ、水分は自分に合わせてもって行きましょうね。
山登りしたんですね・・・。
以前、駒ケ岳登山(現在は入山禁止になってます)したんですが、普段何も鍛えてないこの体、いきなり登山なので、疲労で吐きそうになりました・・・。
持っていったおにぎりも食べれなかったくらい疲れました・・。景色が素晴らしかったので、まず良かったですが。。。
熊看板。。。森町の道の駅の少し函館よりのところに、いい味だしてる熊看板があります。
確か、「熊よりも蛇よりも怖い交通事故!」と書かれてたと思います・・・。
それにしても、花の種類に詳しいですね。
勉強になりました。