烏帽子岩と龍神石:乙部町

明治22年(1889)春頃、三ツ谷八幡神社旧鎮座地で拝殿の基礎工事が施工された当時、若木幸作という網元が工事の当屋だった。
工事を始めたところ、基礎の中心部からこのような烏帽子に似た岩が掘り起こされた。日ごろ信仰心の厚い同氏は早速神主や村役家と相談し、烏帽子岩と命名した。
このような岩を取り壊すとは神の怒りに触れる、あるいは産土神八幡様(うぶしなかみはちまんさま)がこの世に姿を現して我々氏子を守護し、又豊漁を授けてくださる前兆であることと信じ、同じ網元や村中の協力を得て村の若集一同を指揮し、沖揚音頭の掛け声も賑やかに急坂をものともせず旧鎮座地に奉祀したという。
これ以来ニシンの郡来も繁く世にいう千石場所とも称せられたと古老の口伝である。

竜神石

明治のはじめ4月頃、当時名主で大家の笹谷吉衛門氏の建網にニシンと共に乗った石である。
伝えるところによると、日ごろ信仰する龍神様が同氏の夢枕に立ち、
「我は龍神なり。網に乗った石は我が化身である。之を祀ることによって汝の家運繁栄し、三ツ谷村中に永く豊漁を授けるであろう。」
と告げられた故に同氏は村中の網元と相談し、龍神石と命名し神社境内に奉祀することとなった。

レポートと解説

全く偶然に見つけた伝説ポイントでした。
国道229号線を北上していたら、

こんな景色が目に飛び込んできました。なんと、くりぬかれた岩から小さな滝が流れています。
すぐ横に鳥居があったので、何かいわれがあるのだろうかと車を降り、鳥居をくぐって神社へと向かいました。神社の名前をまず確認しようと、鳥居横の石碑を見ると、

・・・・・・え~と、何八幡神社なんでしょうか・・・。明らかにセメントか何かで何らかの文字が消されています。
せっかく作ったはいいけど、思いっきり失敗してしまったのか、それとも名称についていざこざがあり、その末にこんな結果になってしまったのか・・・(それは考えすぎ)。

気を取り直して石段を登ると、すぐに神社が見えてきました。
特に何の変哲もない神社ですが、ふと横を見ると謎の石が二つ。それが、この烏帽子岩と龍神石でした。

ちなみにこの神社は、国道改修工事で移転して現在地に至っているそうで、神社と共に、これらの石も現在地に移転したそうです。
もともとの神社の位置は、未調査です。
また、烏帽子岩は三ツ谷八幡神社旧鎮座地で見つかったと解説板にありますので、三ツ谷八幡神社という名称なのだと思われるのですが、 「北海道神社庁」様によると、「八幡神社」となっています。乙部町内にはたくさんの八幡神社がありますので、便宜上「三ツ谷八幡神社」と呼ばれているのでしょうか。
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『烏帽子岩と龍神石:乙部町』へのコメント

  1. 名前:ごま 投稿日:2016/06/29(水) 15:41:47 ID:dc3affc24 返信

    セメントでつぶされた文字は
    「村社」だと思われます。
    戦後廃止された社格制度ですね

    • 名前:ねりこ@ななめし 投稿日:2016/06/29(水) 21:26:20 ID:5c6e0984b

      ごまさん、ありがとうございます!
      なるほど、そういうことだったのですね!勉強になりました。