矢不来天満宮:北斗市(旧上磯町)

  1. 矢不来の赤松
    矢不来天満宮の天神様(菅原道真像)は、赤松の上に乗ってこの地に流れ着き、流れ着いた浜辺には赤松の大木が生えた。
    昭和5年(1930)、上磯~木古内間に鉄道架設工事が始まり、この大木を伐ろうとしたが、旭川から連れて来た腕のいい木こりでも伐ることが出来なかった。
    ある夜、その木こりの夢に老人が現れて、「切り口に葦を挟んで伐るとよい」と教えたので、その通りにするとようやく伐ることが出来た。 しかし、その後伐った木こりもお祓いをした神官も死んでしまったという。
    鉄道開通後も走行中の汽車の中に、白衣の老人の霊が現れると騒がれたため、伐った木の一部を矢不来天満宮に祀って木の霊を鎮めたという。
  2. 矢不来天満宮のご神体
    矢不来天満宮は、15世紀にここに流れ着いたという天神様(菅原道真)像を祭ったのが始まりである。
    文和年間(1352~1356)、大松一株が漂着した。アイヌの人たちがよく見てみると、その株の枝と枝との間に、2尺ほどの木像があるのを発見したという。そこで、矢不来の地に祭った。
    もちろんアイヌの人々は、この像が道真公だとは知らなかったが、その神々しさに打たれ、「ヤギナイ」という地名を「カムイヤモンケナイ」と改めた。下国氏の某の代に、ご神体の破損がひどいということで、京師の某という名工へ修理に出した。その名工は、このご神体の工作の巧みさに驚き畏れながら、心を込めて修理した。
    下国氏の重臣がご神体のお迎えのため京に上り、ご神体のある一室に案内されて入ると、5基の寸分たがわぬご神体の像が床に置かれてあった。その名工がご神体があまりに巧みに出来ていたため、恐れ多いが研究のために4体を模造したとの事。そして、試みにこれだと信じる1体をとってみてください、と言う。その重臣は主家の守護神と言いながら、しっかりと拝したことがなくしばらく躊躇してみていたら、その中の一体が目をギョロリと動かし、「我こそ」と言ったように感じたので、早速その一体を指した。果たして、それはまさにご神体であったという。名工は、専門の自分が見ても間違うこともあるのにと驚愕したという。また、このご神体の両眼は黄金だという。
  3. 社殿の不思議
    ある時、村人がこの社殿を道路にむけて建て、翌日行ってみたところ、社殿が南を向いていた。人々は驚いて、いろいろな方法で元に戻そうとしたが、どうしても動かずに困っていた。
    そこへ通りかかったある老人がこれを見て、これは神様の意思なのだから、背くものではない、この神はもともと津軽南部より参ったので、その方角が気にかかるのだろう、と言ったという。
    その後、火災で焼失してしまった際にも、同様のことがあったと伝えられている。
  4. 鳥居の言い伝え

    矢不来天満宮の鳥居は、明治以前に運んできたが、その途中で丘の上まで揚げるのが難しく、遂には海中に放棄してしまった。それを後年、誰かがここへ建てたものだという。
    この鳥居の上を見ると、大小の石が乗っているが、これは深夜人に見られないように後ろ向きに石を投げ、鳥居の上に乗れば願いがかなうという言い伝えがあるからである。

レポートと解説

天神様を祭っているということで、牛さんも狛犬代わりでしょうか、鎮座していました。
祀られている赤松は、神社向かって左側にあり、すぐに見つけられました。
長いこと風雨にさらされていますが、もうすっかり乾燥してしまっていました。

と、写真を撮っていると立派な社務所から、人が。
すかさず声をかけ、赤松について尋ねましたが、上記の伝説以外の情報は特にありませんでした。
ちなみに、この神社は道南12館の一つ、茂別館跡でもあります。
境内のどこにもそれらしき遺構がないので、尋ねてみたところ、この神社一帯がすべて茂別館跡なのだそうです。
そういわれると、神社の境内の入り口横に、土塁らしきものがありましたが、これでしょうか。

コシャマインの乱の際にも霊験があったといいます。
(アイヌの毒矢が届かなかった→「矢不来」の地名)
しかし、アイヌ語で「ヤンゲナイ」とは陸揚場の意で船から荷物をあげる場所、とのことで、
後に和人が矢不来の文字をあてて「ヤギナイ」と読ませたことから、矢の来ない伝説が生まれたのでは、という説もあります。
矢不来が「やぎない」から「やふらい」とよばれるようになったのは近年のことだそうです。 

矢不来の赤松に関する余話

「北海道の伝説」(須藤隆仙著)には、当時騒がれた伐られた赤松の祟りに関する詳細な話が掲載されています。上に載せた以外のものをご紹介します。

  • 夜な夜な道路に白衣を着た老人が立つ。
  • やがて道路に沿って鉄道が走ると、線路上に立ちはじめたので、機関士が驚いて汽車を止めた。
  • 客車の中に入ってきた話は、ひどく噂されていて、汽車に乗る人が激減するほど。

この本によると、赤松が実際に伐られたのは昭和2年の秋で、ちょうどこの木がトンネルの入り口部分にあるため、倒れてきては危険という判断で伐ることになったのだそう。地元では、老樹であり、しかも天神様に関係する木であるということで、ずいぶん反対したそうですが、仕方なく記念写真なども撮影して、切り倒したのだそうです。

この木は、一部が矢不来天満宮境内に祀られていますが、一部は茂辺地の曹渓寺本堂に、三十三観音像に姿を変えて安置されています。これは、当時の信徒や地元の人々が松の木の霊を慰めるために、仏師に依頼して作像したものです。神社の御神木が観音様に変化して大事に残されているのでした。(曹渓寺の記事はこちら

アカマツ再び?

2016年8月19日付北海道新聞みなみ風にて、次のような記事が掲載されていました。
以下、引用です。

 函館江差自動車道の工事が進んでいた数年前、同天満宮の中村卓司宮司(43)は工事関係者から相談を受けた。茂辺地インターチェンジ近くに工事の妨げとなるアカマツがあるが、伐採すべきか、移植すべきか―。
その木を見た瞬間、中村宮司はどきりとした。幹のねじれた感じ、二股に分かれた格好が、写真で見たアカマツにそっくりだったのだ。過去の犠牲者の話が脳裏をよぎり、移植を勧め、祈祷をさずけた。中村宮司は「先人の話があったので、そう判断しました」と語り、今後も無事が続くことを願う。

函館江差自動車道といえば、2015年に事故が2件発生し・・・もごもご

みなみ風の記事には祈祷時の写真が掲載されておりますよ。

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