函館山・海側にある洞窟。蝙蝠や海燕のすむこの洞窟には、昔から様々な伝説がある。
- 大ダコの主が棲んでいる。
- いや、セイウチの主だ。
- そうじゃなくて、白蛇の主だよ。
- いやいや、ワニザメの主らしいよ。
- そんなことより、一つ目の怪物を見た。
- 鉄門上人という僧が中の岩上で座禅した。
- アイヌが神様をまつっていた。
- 海賊の根城になっているので近づくな。
- 箱館戦争のときに榎本軍が財宝を隠した。
- 函館山山麓の船魂神社横の洞窟と実はつながっている。
- 函館山の頂上につながる秘密の階段(エレベーター)が戦時中に作られた。
- 谷地頭の谷地眼(やちまなこ~大昔の噴火口で、現在の谷地頭町の低地。明治以前は沼だった。 埋め立ての際に底知らずで難工事だったので、海につながっているなどと噂された。龍神伝説もある)とつながっている。
レポートと解説
ペリーが来函した際に穴澗を調査し、同行した牧師が絵を残しています。
穴澗には昭和40年代頃まで釣り橋が架かっていましたが、いまは基礎のコンクリートが残るのみです。
終戦後まではこの先に「寒川」という集落が存在し、分校もありました。
「北海道の口碑伝説」に、穴澗を探検した人の体験談が載っています。
それには、洞窟の奥に65cmあまりの大きさの石造りのお堂があり、中には「穴澗大明神」と記した御札が一枚あったとあります。
いつ頃のお話なのか載っていませんが・・・。今でもこのお堂は存在するのでしょうか。
「函館-その歴史・史跡・風土-(須藤隆仙著)」に探検した人の話が掲載されていて、
中は程なく右に曲がり、コウモリ群、真っ暗、小船を進めると4mくらいの巨岩あり。砂利や崩岩を越えて行くと石の小祠あり「穴澗大明神」の札。崩岩の支洞の果てはどんづまり
とあります。
また、戦後の探踏者の話ではどんづまりには人名だのの落書きがあった、とのこと。
(2009.1.30追記)
北海道南西沖地震で、洞窟が崩れて奥に行けないという噂もあります。(2012.6.11追記)
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2013.10.29本日、穴潤洞窟内探検してきました。入口より100m程進むと、広いドーム状の空間が広がります。その先は行き止まりで、崩落によるものというよりは、元々ここまでな感じでした。中には4m程の大きな岩がありました。水はとても澄んでいて美しく、小魚も多いです。祠なるものさがしましたが、見つかりませんでした。