鴎島:江差町

鴎島には、多くの伝説が残されています。以下にいくつかを紹介します。

やらずの明神

鴎島の厳島神社は昔、弁天様と呼ばれ明治元年(1868)に今の名となった。
この神は非常にケチな神様で、出稼ぎ人が金を頑張って蓄えても、それを使い果たしてしまわないと、故郷へ帰ることを許さなかったという。もし、無理やり帰った場合は、その途中で祟りがあったといわれている。

馬岩と弁慶の足跡

義経が津軽の三厩で白髪の老人にもらった白馬はこの鴎島に残され、岩になって主を待ち続けているという。
また、一説にはアイヌたちに追われた義経がここまで逃げ延びて、この岩に馬をつないでいたところ、馬は寒さと飢えで死にそのまま化石になったのだともいう。

義経一行は江差に第一歩を踏み入れたのが鴎島で、この時弁慶によって大きな穴が2つあいたという。馬岩の後ろの島の登り口左手にある洞窟は、弁慶が義経から預かった六韜三略の巻物を隠した場所といわれる。

大蛸

昔、江差の寺に釣鐘が一つもなかったので、住人が正覚院(江差町本町・曹洞宗)にこれを寄進することになり、大坂から弁財船で運んできた。ところが、鴎島の辺りに来ると、海中から主の大蛸が現れ、釣鐘を海中に引きずり込んでしまった。人々が神主に祈祷してもらったところ、蛸は、頭を隠す物がなくて困っていたので、ちょうどよい帽子になる、といった。人々は祟りを恐れて釣鐘を蛸にそのまま渡した。以後、蛸の豊漁が続き、なぎの日には鐘の竜頭が見えたという。
この大蛸のところに、乙部の鮪ノ岬にいた大蛸がお嫁に来たともいう。

レポートと解説

鴎島はかもめが羽を広げたような形なので、明治時代に名づけられました。それ以前は弁天さんがあるので弁天島と呼ばれていたそうです。
現在は江差港の岸壁が鴎島まで伸ばされて陸続きですが、昔は陸から離れていました。

弁天様について

弁天様は弁財天(あるいは弁才天)ともいい、七福神の一つです。
もともとはヒンドゥー教の神サラスヴァティーが、仏教や神道にとりこまれたのだそう。日本では、お寺にも弁天様の像があり神社にも祀られるということから、人々に愛される神様だと言えるかもしれません。サラスヴァティーは河の神だったので、日本でも日本古来の川や水の神様と結びつき、水辺や島など水に関係がある場所に祀られていることが多いです。
また、弁才天の「才」の字が「財」に通じることから、財産の神様とも言われるようになりました。

「新北海道伝説考」では、「やらずの明神」伝説について、 色町の連中がでっちあげた集客戦略上の一種の詐謀に他ならないとしています。
「江差の五月は江戸にもない」とまで言われるほど、鰊漁の好景気によって繁栄していた江差。漁師たちは、少しでも鰊が多く獲れるように、日常的に不吉とされる言葉をさけて言い換えたり(忌み言葉といいます)、信心深く慣習を守っていたようです。当時の漁師たちは江差の好景気を聞きつけて本州からの出稼ぎ人も多く、漁の期間が終わるとそれぞれ故郷に戻っていきました。
町人たちは、漁師たちの蓄財を故郷へ持っていかせるより江差の街で使って欲しいと必死だったのでしょう。
弁天様は、水の神様であり金銭の神様でもあるということで、江差の人々に与えていた影響はもとから大きなものだったと思いますが、その大きい影響力を利用して生まれたのが「やらずの明神」伝説だった・・・と私も思うのですがいかがでしょう。

大蛸について

江差百話に載っているお話。

 昭和3年2月、乙部のすけとう漁船、普洋丸とあさひ丸が冬の嵐に逢って田沢沖で遭難し、何とか江差の港に入港しようとしたが果たさず、難破して15名が溺死するという大きな海難事故が発生した。
遺体収容のため、函館から潜水夫を雇って作業を続けた。この時のこと、作業中の潜水夫があわてて揚がってきたかと思うと船上でがたがた震え、仕事を打切って帰ると言い張る事件があった。わけを聞き出したところ、見たことも聞いたこともない、とてつもない大蛸が居るという。吸盤の一つが三平皿ぐらいの大きさもあるすごさで、当時の金にして何万円積までても潜る気がしないといって打切りにしたことがあったという話を語ってくれた古老がいる。(原文ママ)

ちなみに三平皿とは、道南地方の郷土料理三平汁を盛り付ける器のことで、三平汁には鮭やタラなどの魚と根菜類を主とした野菜が入った具沢山の汁物です。学校給食にも出ていたような気がします。(三平皿について参考ページ - 市立函館博物館で三平皿コレクションを堪能)器の大きさは大体15cmほど。こんなに大きな吸盤を持つタコが本当にいたのだとしたら・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

世界で最も大きな種類のタコはミズダコと言われており、日本では東北以北に生息しています。大きいものでは体長3~5m、最大記録では体長9.1m、体重272kgなのだそう。大きいタコには天敵がおらず、You Tubeにはタコがサメを襲って食べる映像を見ることができます。

タコに絡まれて窒息死した人もいるとのことですので、上記の潜水夫の話はあながち嘘とも言い切れない気もしますね。(2011年8月23日追記)
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