昔、松前の旧家の娘、静枝(生符の鍛冶屋柳本傳八の娘・お芳とする説も)が吉野山まで見物に行き、美しい尼僧から桜の苗木をもらったので、それを光善寺に植樹した。
時が流れて、この静枝が死に桜も大樹になった安永(1772~1780)の頃、光善寺の本堂改築のためにこの桜を伐る事となった。するとその前夜、鮮やかな桜模様の振袖姿の女性が当時の住職第18世穏譽上人の夢枕に立ち、「私の死が明日に迫っています。きちんと成仏したいので、血脈を私にお与えください。」と言う。
住職はその理由を尋ねたが語ってくれず、夜も遅いので明日にしてはどうかと言っても、明日を待つことができないので是非にと懇願するのだった。
仕方なく本堂に向かい、型の如く血脈を授けた。
翌朝、住職が本日切り倒される老桜を眺めていると、その枝に紙がぶら下がっているのを見つけた。よく見ると、それはまぎれもなく前夜女性に授けた血脈であった。住職はこの桜を伐ることをやめ、盛大な供養を営んだ。
それ以来、この桜は血脈桜と呼ばれるようになった。
レポートと解説
血脈桜の写真は松前町役場様よりお借りいたしました。
この桜を雌桜、隣の竜雲院の桜を雄桜といい、互いに根がつながっているとも言われています。今の幹は何代目かの桜だとも言われていますが、それでも推定樹齢280年以上とのこと。
松前を代表する桜の品種「南殿(なでん)」はこの木を親木に増やされたそうです。
光善寺
浄土宗、山号は高徳山、天文2年(1533)創立(寺伝による)、良伝和尚により開山し京都百万遍知恩寺が本山。初め高山寺といい、慶長7年(1602)に光善寺と改称。何度かの火災に見舞われているが、江戸中期の仁王門、鐘楼門、経蔵などは残っている。
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