天保元(1830)年、漁師の与作とその親方の家の飯炊き娘お岩が恋に落ち、結婚の約束をしていたが、親方の息子がお岩を嫁に欲しいと言い出して、親方は二人の結婚を許さずに、与作とお岩を引き離した。
冬の雪が降り積もる日、悲しみにくれたお岩は死に、与作もまた後を追うように館の岬から飛び降りたという。
また、親方に重い忠義を感じていたお岩が、与作に別れを告げたことから、与作が逆上してそばにあった角材の間に押し込めて、挟めて殺してしまい、絶望した与作は館の岬から飛び降りた、との説もある。
こちらの方は、長い口説になっていて明治によく歌われた。
~丹波与作は館からはねた、可愛いお岩を角挟み~
この事件が起きてから、雪の日には男女の亡霊が館の岬あたりに現れ始めた。
レポートと解説
その悲しい恋を哀れんで、昭和45年に悲恋塚が建てられています。しかし、この碑が建てられてからも亡霊は現れているといいます。
二人の遺体が運ばれたお寺に残された過去帳によれば、与作の戒名は記されているがお岩の過去帳が存在していないから、つまり、一緒に安置されていないからだという人もいます。
館の岬(たてのさき)は昔、通行の難所で、通る人はみな念仏を唱えながら通ったので、別名念仏岬とも呼ばれています。
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