矢越岬:知内町

福島町と知内町の境にある岬。断崖なので、海岸沿いは通れず、陸を迂回する。ここの海は難所だったため、古来から様々な伝説がある。

  • 矢越の名は、砂金採りの荒木大学が放った矢が、この岬を越えたためつけられた。
  • 矢越の名は、源義経が魔神を矢で追ったのでつけられた。
  • この岬で相原季胤がアイヌの娘を10数人(20数人説も)海の神怒りを静めるために、犠牲にして海に沈めた。(このことからアイヌに攻められたという)
  • この岬を境に天候が急変することがあるので、沖を通る船は帆を下げて、岬に矢を射掛けたり、お神酒を上げたりして拝みながら航行したという。
  • この岬の主は大鮫で、海が荒れるときはこの鮫が知内川にすむメスの鮫と喧嘩して、暴れているせいだと噂された。

レポートと解説

写真は、松前の白神岬から見た矢越岬です。奥にうっすらと見えるのがそれです。
岬までは船か徒歩でしか接近できません。
矢越は、アイヌ語で「ヤクシイ(内陸を通るところ)」が語源だといわれています。
矢越八幡の祠があるとのことですが、これは明暦元年(1655)松前家老蛎崎光林が、蝦夷蜂起による出征の際、武運長久を祈願して建立し、弓矢を奉納したと伝えられています。 
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