佐女川神社:木古内町

かの円空が1665年頃置いていった、観世音菩薩坐像が御神体として祭られていた。しかし、漁もうまくいかず作物も取れない時期が続き、次第に人々の信仰心が薄くなっていった神社は荒廃していったという。

1831年1月15日、神社を守っていた人の夢枕に御神体を清めなさいとのお告げがあった。神社守はすぐに目を覚まし、佐女川に入って氷を叩き割り、冷水で自分を清めて御神体を抱いて海に出た。すると大きな鮫がいて、その背中には白衣をまとった美しい女性がいたという。神の使者だと信じて、神社守は夢中で何度も沐浴したが、気づいたときにはもう女性は消えていて、大きな鮫は川を上り上流の佐女沼に姿を消したという。
その年から村では豊作、豊漁が続き、天保の大飢饉も乗り越えられたという。

レポートと解説

有名な佐女川神社の寒中みそぎはこの故事に由来し、170年以上も続いています。
以前は1年間の垢を取るという意味で、「垢離取り(こりとり)」と呼んでいましたが、「北海道は寒いので「氷(こおり)」を取るのか」と誤解した人がいたため、「みそぎ」という名にしたのだといいます。(町の中を熊が歩いていると思うのとあまり変わらないかも・・・)


異説として、「戸切地の龍神伝説」の故事に由来すると、「北海道旧纂図絵」にあります。
また、寒中みそぎについてこの文献には、
『寒天積雪の中、海に裸で童子が入るが、このために健康を害して病を生ずるもの1人もなしと言う。明治神社改正の後、この旧弊廃す。発言者悪病に罹り親族共死者3人あり、依りて村中会議の上、その扱う所を出願、旧例に復せし』とあります。

佐女川神社について

寛永2年(1625)松前景広の創建と伝えられています。玉依姫命・高皇産霊神・神皇産霊神・倉稲魂尊を祭り、明治8年(1875)村社。
古書に木古内に観音堂があったとあるので、円空作の仏像は当初その観音堂にあったのかもしれないとの説もあります。

円空(1632~1695)について

美濃の国(岐阜)に生まれ、23歳で出家し天台宗の修験者となり、旅をしながらその土地土地で、数多くの仏像を残しました。
北海道には1665年に渡ったといわれ、33体の仏像が現存しています。
5000体の仏像が全国各地に現存しているが、生涯12万体もの仏像を彫ったといわれています。 
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