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伝説

函館・道南の歴史・伝説

茂草の石神様:松前町

茂草のぬかもり山に子供が大好きな石神様がいて、子供たちは毎日この石神様を、縄で縛って引っ張って遊んでいた。ある時通りかかった婦人が、罰当たりだと子供たちを叱って遊びをやめさせた。すると、石神様が寂しがってその婦人の目を見えなくしたという。婦...
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函館・道南の歴史・伝説

耳塚:松前町

松前藩の苛酷なアイヌ民族支配強化に対し、アイヌの人々が団結して抵抗を示したのが、寛文9年(1669年)のシャクシャインの戦いだった。はじめはアイヌ側の優位で戦いが経過したが、松前藩は幕府や津軽藩の援助を得て新冠(現在の日高地方にある町)まで...
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函館・道南の歴史・伝説

古鼠:松前町

昔、松前の山奥に周防堂(すおうどう)というお堂があり、そこには大きな古鼠が棲んでいた。その古鼠は、毎年若い女性を生け贄にしていた。秋田・山内を居城としていた山内采女正(うねめのしょう・采女頭【うねのかみ】とも)が戦に敗れて松前へ落ち延びてき...
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函館・道南の歴史・伝説

博知石:松前町

昔、松前藩創立以前、東北から移住してきた漁師たちは、船がよく転覆したり沈んだりするので、大きな岩に洞窟を掘り船霊様を祀ることにした。そこで、徳造という信心深い漁師が一生懸命掘削し、3年目の春にようやく完成した。いよいよ念願の船霊様を祀るとい...
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函館・道南の歴史・伝説

手長池:松前町

延享2年(1745)、松前藩12代藩主、資広(すけひろ)は、中納言八条隆英の娘を正室に迎え、城下の人々は彼女を「京御前様」と呼んで尊んでいた。資広が参勤交代のため江戸にいたある夜、京御前は何かに誘われるように外へ出て、ふと気づくと町外れの池...
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白神岬:松前町

見つからない石の祠ある木こりが3、4人で白神様のある白神岬の山中に入ったところ、苔の下に石の祠が見えた。 驚いて村に帰り、掘り起こそうと大勢の人を連れて行ったが、その場所にはなにもなくなっていた。また、違う人が同じ場所でその石の祠を見つけ、...
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函館・道南の歴史・伝説

血脈桜:松前町

昔、松前の旧家の娘、静枝(生符の鍛冶屋柳本傳八の娘・お芳とする説も)が吉野山まで見物に行き、美しい尼僧から桜の苗木をもらったので、それを光善寺に植樹した。時が流れて、この静枝が死に桜も大樹になった安永(1772~1780)の頃、光善寺の本堂...
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玄狐:松前町

バージョン1松前家第13世道広の前室は、前右大臣花山院常雅の息女初姫で、明和8年(1771)入輿した。初姫は日頃京都九条稲荷を尊宗していたので、蝦夷地に来るに当たって九条稲荷は姫の道中を守護するため、多数の狐を付き添わせた。天明8年(177...
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桂の木と大蛇:松前町

徳山大神宮の本殿の横に、樹齢500年の桂の木がある。昔、このお宮の別当白鳥氏の夢に、ある夜白髪の翁が現れた。その翁が言うには、「私はこのバッコ沢の奥に住む大蛇である。この沢を出て海に行き、やがては天に昇り、龍となりたいと常々思っているのだが...
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函館・道南の歴史・伝説

阿吽寺のお不動さま:松前町

焼松不動さま(小不動尊)昔、坪屋源七という者が知人のお葬式の帰りにこの小不動さまに参詣したところ、お不動さまの火炎が本当に燃えて、源七の肩衣に燃え移り、源七は気絶してしまったという。人々が担ぎ出して水をかけ、薬を飲ませて源七は助かった。お葬...
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