雷公神社の祖、大野了徳院重一を祀る神社のご神体である石。
「旱魃で雨が降らない年は必ず雨を降らせるので、私を川のほとりに埋めてほしい」と遺言して亡くなった。家族はその通り川のほとりに埋葬し、塚石を安置し記念の松を植えたという。
祈願すると必ず雨が降ったので雨石と呼ばれるようになった。
30cm程度の少し角張った石で、背丈45cmほど。石質は解らないが御影石の感じで容量に比して非常に重い。北海道の産では無いと考えられている。
昭和60年、旱魃のため鮭が知内川を遡上できずにいたため、当時の漁協組合長が雨石の故事に習い、雷公神社の神主と祈願したところ、翌日に雨が降り出し川は増水、無事に鮭は遡上することが出来たという。
レポートと解説
冒頭の写真は、雨石社があった場所にある雨石さまのモニュメントで、そばには雨石松が立っています。
写真の場所には雨石神社がありましたが、現在は雷公神社に合祀されています。
昭和60年の祈願の時、雨が降りすぎてしまい、肝心の鮭の施設が流されてしまったそうです。
久しぶりの出番に、雨石様はりきりすぎ?
雷公神社の第25代神主の大野格さんに、お話をうかがいました(2003/5/4)。
この雨石様は普段は雷公神社の奥深くに眠っているそうです。
お祭りの時でさえお披露目などもせず、扉を開くのみだそうで・・・。
なぜなら、ちょっとでも外に出そうものなら、必ず翌日には大雨が降るからだそうです。
霊験あらたかな石だということで、これまでも地元のテレビ局などが何度も取材に来ていまが、撮影のために雨石様が出されると、とたんに翌日から知内は土砂降りになってしまうそうです。
これまで雨石様を出して雨が降らなかったことは、私が知る限り一度もないとおっしゃっていました。
真冬にテレビ局が取材に来たときには、翌日から猛吹雪で、テレビクルーも札幌まで帰るのに死ぬ思いだったそうです・・・。というわけで、雨石様の撮影はできませんでした。
雷公神社について
祭神は別雷神・加茂御祖神。
寛元2年(1244)山城国加茂からの奉遷説と、元久2年(1205)荒木大学が加茂二社を建立、享徳2年(1453)両社をあわせて雷公神社としたとの説がある。
大正4年(1915)に上雷から現在地へ移動しているが、知内川沿いの雷野にあったとする記録もある。
明治9年(1876)村社。末社に松前数馬之助をまつる荒神社や、下国恒季をまつる雷電社がある。例祭は9月22日。(函館道南大事典より)
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