血脈桜:松前町
昔、松前の旧家の娘、静枝(生符の鍛冶屋柳本傳八の娘・お芳とする説も)が吉野山まで見物に行き、美しい尼僧から桜の苗木をもらったので、そ...
昔、松前の旧家の娘、静枝(生符の鍛冶屋柳本傳八の娘・お芳とする説も)が吉野山まで見物に行き、美しい尼僧から桜の苗木をもらったので、そ...
バージョン1 松前家第13世道広の前室は、前右大臣花山院常雅の息女初姫で、明和8年(1771)入輿した。 初姫は日頃京都九条稲荷を尊宗し...
徳山大神宮の本殿の横に、樹齢500年の桂の木がある。 昔、このお宮の別当白鳥氏の夢に、ある夜白髪の翁が現れた。その翁が言うには...
焼松不動さま(小不動尊) 昔、坪屋源七という者が知人のお葬式の帰りにこの小不動さまに参詣したところ、お不動さまの火炎が本当に燃え...
矢不来の赤松 矢不来天満宮の天神様(菅原道真像)は、赤松の上に乗ってこの地に流れ着き、流れ着いた浜辺には赤松の大木が生えた。 昭...
茂辺地川では鮭が多く捕れ、古来よりアイヌ人たちはこの鮭を捕らえて生計を立てていた。 後年、下国氏がここを領してからも領民たちはこの川の鮭を得...
戸切地川に鮭が上らなくなったので、郷士の岡田信忠は長女のテルを船に乗せ、龍神に捧げた。それからは、テルは晩秋に一晩だけ里帰りするよう...
函館山中腹にある自然石。もとは頂上にあったものだが、明治32(1899)年に山の要塞化のため小さくしてここへ下げたという。 昔...
明治初年、高竜寺本堂の本尊の下に住んでいたむじなが、和尚さんのツケだとして、人間の姿を借りて食べ飲み歩いていた。 それを知った...
昔、ここでムイ(アイヌ語・オオバンヒザラガイ)とアワビがけんかをして、島より西側はアワビの国で東側がムイの国と定めたという。 ...